鶴林山 称円寺

然るに明徳4年(1393年)11月15日火災おこり山門を焼失した。応永年間に至り檀那(檀家)、鶴林院称円禅定門の再興した故をもつて鶴林山称円寺と改めた。寛正5年(1793年)11月、現住覚妙『大和守頼親の玄孫、土方源之尉出家、入道し。文安4年(1447年)住職』 京都東山大谷に詣でて蓮如上人に出遇い、本宗 天台宗を廻して真宗に帰依、直ちに本尊法名を賜わつた。これが中興の開基とされている。

元亀2年5月(1570年~1573年)」の代に石山合戦が起り、門徒を率いて本山防難に向ったが、この留守中の天正2年(1574年)10月、信長の家臣、土方治兵衛なる者が押し寄せてきて放火した。 このため本坊寺中、悉く延焼し寺宝の焼失は数知れなかった。天正19年(1591年)仮堂を現在地に建立、世間ではこれを辻殿と称えた。旧地を距ること約一町余、これが現在の寺域である。本尊は木仏立像の阿弥陀如来である。 なお文中3年9月15(1374年)日宗良親王が当寺に入御せられた際、次の如き御歌一首を詠まれた。 「忘れめや一夜伏屋の月の影猶その原の旅ここちしてとれに」 対し、別当法印発雲が次の加如く報歌し奉つたと云う。 「思ひきやかかる伏屋の露をおきて雲井の月を宿すべしとは」 【出典 とみた町史】

まずはお電話ください。専門のスタッフが全て対応いたします。

TERA SOU事務局〈24時間年中無休〉
専用ダイヤルはこちら

050-3612-7794

  • 24時間受付
  • 年中無休
  • 相談無料
  • 携帯OK